Peace 

 

平和について考えていこう

 

1.はじめに

 

2020年の東京オリンピックが近づいています。オリンピックでは、さまざまな国の人々がこの日本に集まります。このページを作ったきっかけは、そんな文化や価値が多種多様な人が集まる今だからこそ、平和について考え、発信していくことが大事だと思ったからです。

また、今回私たちはピースイーツを企画しています。ピースイーツとは「平和(ピース)をコンセプトとしたスイーツ」のことで、過去に「レモンの切り株」や「ピースおもち」などのピースイーツを企画しました。今年は、抹茶の専門店「茶の環」様にご協力いただいて、平和の象徴「ハト」をかたどったクッキーをピースイーツとして開発しました。ぜひご賞味ください。

 

 

2.伝えていく…

 

今年で原爆投下から74年が経ち、被爆の記憶を伝えることができる語り部の方が少なくなってきています。原爆の悲劇を繰り返さないように、平和な社会であるためにこの出来事の記憶を風化させてはなりません。そのために、語り部の方から直接被爆体験を聞いた私たちが、次の世代に伝えていくべきだと思うのです。しかし、それにはいくつかの課題があります。 

<課題1>

今の日本国内の人々に「8月6日は何の日ですか?」と聞いて「広島に原子爆弾が投下された日」と答えられる人がどのくらいいるでしょうか?もちろん広島で育った人は小中学校での登校日や平和学習によって、答えられる人がほとんどでしょう。加えて広島では毎年、平和記念式典が執り行われます。8月6日が近づくと、テレビでは原爆に関する特別放送が流されます。しかし、県外で育った人はどうでしょう。学校の社会科などで、原爆投下のことを教えられるくらいなのではないでしょうか?

同じ国内でも、平和のために伝えていこうという意識が全く違うのです。

 

<課題2>

広島で暮らす私たちも、伝えていく必要があるという意識が低くなってきていると感じています。例えば、原爆資料館が今年の4月25日に改装されました。その改装後の原爆資料館に行ったことのある人はどのくらいいるでしょう?実際、周りには改装後に行った人は少ないです。これは、少なからず原爆に対する関心が弱まってきているということなのではないでしょうか?

 

 

3.私たちにできること~

 

このような課題がある中で平和であるために私たちにできることは何でしょうか?

①原爆資料館に行く

<課題2>から、原爆資料館を見て回ることにより、今一度平和への意識を高め、忘れてはいけない、伝えていかなくてはならないという思いを強くしていくことが大切だと思います。

 

②心無い発言をしない

現在では匿名で発言できるSNSが広まり、差別発言や誹謗中傷などの心無い発言をしやすい環境にあります。これらは、多くの人を傷つけたり争いの種になってしまいます。平和に過ごすためには、このような発言をするべきではありません。

 

 

4.企業の「平和への思い や 取り組み

 

 

【茶の環 様】

本店が平和公園の近くで、折り鶴の再生紙を使った「折り鶴箱」を作っているので、それを通して広島をアピールしたい。

 

【阿藻珍味 様】

広島の企業ということで、戦争が二度と起きないよう反省の思いを持っている。

また、安心安全なものを届け、世界のみんなが仲良くなれるように祈っている。

 

【ラネージュ 様】

世界に飢餓で苦しむ子どもがいる中、食材を廃棄しないことや、いかに最後まで届けるかを考え、食べ物を少しでも無駄にしないことを意識している。

お客様の意見を聞いたり、パンを見たりして「おいしそう」と言ってくれる声をより多く聞きたい。パンを作って食べてもらえるのも当たり前ではないので、平和にこの仕事ができていることに感謝を忘れず日々頑張っている。


【カスターニャ 様】

食して頂くお客様に「笑顔」を提供していきたい。

”個人の平和”の先に”世界の平和”があるかもしれないと感じ、楽しく豊かなひとときを通して、多くの方の安らぎに少しでも貢献できれば大変有難いです。

 

【コナスタイル オブ アロハ 様】

平和とは、寛容さと相互理解が必須と考える。平和都市と言えど、広島が世界的な平和に貢献するには”被爆地としてだけ”では難しい。戦争・紛争そのものに対して如何に考えるかが平和貢献となる。

ハワイと交易する場合、多くの日系人、アメリカ人の方々との交流を持つ。Konaコーヒーを通して相互理解を一層深め、相互の過去に思いを馳せる、そして共に平和への思いを強くすること。

 

 

5.広島市商と平和

 

広島市立広島商業高等学校と平和のつながりは深いものがあります。例えば、「ビジネス活動を通して平和な社会形成に貢献できる人づくり」をコンセプトに、模擬株式会社の「広島市商ピースデパート」やネットショッピングの「広島市商ドットコム」を毎年開催しており、その売り上げを毎年平和団体へ寄付しています。この2つの目的は、商業活動を通じて平和に関する活動へ貢献することです。商品を購入して頂いた皆様も平和活動に貢献できるのが特徴です。また、ピース部門の生徒による平和探求学習や、観光コースの生徒による平和記念公園のガイドなど、様々な取り組みを行っています。どちらも、生徒自身が考えて教えることによって、生徒の平和についての理解も高まり、平和についての学習を広めることができました。

 

広島市商・造船工業学校慰霊碑

  


平和公園内を流れる元安川沿いには、昭和31年(1956年)本校の卒業生が平和大橋近くの土手に150本の桜を植えました。原爆の犠牲になった人々の霊をなぐさめようという願いから植えられました。また、平和記念公園をもっと美しい場所にしようと考えられたからです。
現在も、春にはきれいな薄ピンク色の花びらを咲かせ、たくさん人が訪れてお花見を楽しみます。

 

 

 

6.資料館に行ってきました

 

3.私たちにできること~から、実際に原爆資料館に行ってきました。

◇原爆について                     

原爆の投下された日時

広島 8月6日 午前  8時15分

 

長崎 8月9日 午前11時  2分

 


 

 

ヒロシマに投下された原爆 ナガサキに投下された原爆

 

 

 

◇原爆の被害

原爆は戦争で使われた他の爆弾よりも強力な爆弾でした。

被害は大きく分けて3つ

熱線 爆風 放射線


熱線は、爆心地近くで3千度~4千度にもなり、熱線をあびた人は重いやけどを負いました。さえぎるものがないまま熱線をあびた人は、皮膚が焼きつくされ、内臓まで障害を受けました。

爆風は建物を破壊し、ガラスが細かく砕け吹き飛び、人の体に突き刺さりました。また、丈夫な鉄骨は大きく曲がってしまいました。

放射線により全身の脱力感や吐き気、嘔吐や下痢などの症状が現れ、しばらくすると髪の毛が抜けはじめました。そして、歯ぐきから血がでるようになり、皮膚の下に血が溜まり紫色の斑点(死の斑点と言われた)が現れ、歯ぐきからの出血が止まらず、被爆後1カ月後に亡くなられた方もいます。また、白血病により苦しまれ亡くなれた方もや多くいました。

 

広島県産業奨励館(原爆ドーム)

 被爆後➡

 

ボトル瓶

 被爆後➡

 

◆こうして私たちは、実際に原爆資料館に行って、原爆や戦争の悲惨さを改めて学ぶことができました。

私は、許可を得て資料館の展示物の撮影をしました。展示物を見れば見るほど、シャッターを押すことが難しくなりました。あまりにも、悲惨な状況を目の当たりにしたからです。しかし、この悲惨さを伝えたいという思いで、シャッターを押し続けました。

改装後は被爆した人、一人ひとりにスポットを当てた展示が増え、戦争で亡くなられた方の生きた証や残された家族の深い悲しみ、たくさんの人々の平和を願う深い思いを感じ取ることができました。

 

インターネットや資料で戦争のことを学び、繰り返してはいけないという気持ちを持つのもよいですが、一度、資料館にも訪れてみてください。画面越しや写真越しに見るより、はるかに強い思いや衝撃を感じ取ることができます。それを感じた上で、平和を学んで欲しいと思います。

 



※ 使用している写真は、広島平和記念資料館(所蔵)、および、広島平和公園にて撮影したものです。

 

長崎 8月9日 午前11時 2分

 

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