~はじめに~
今回、宮城復興支援として牛田商店街様が「木彫りの判子」を贈ったお返しとして「あぶら麩」が贈られてきたこともあり、牛田商店街様と地域連携のある私たち市商生があぶら麩を使った商品を開発することになりました。そこで、被災という共通点からそれぞれの現状を、そして広島と宮城のつながりを知ってもらうためにこのページを作りました。
1 東日本大震災
平成23年3月11日(金)14時46分に発生した東日本大震災は、宮城県内で最大震度7を観測したほか、巨大な津波が沿岸市村に押し寄せるなど、甚大な被害をもたらしました。震災から1年前のチリ沖地震の際に同様の警報であまり被害がなかったため当日も避難をしなかった人がいたことや、避難はしようとしたが、渋滞で道が混雑しており車での移動が難しかったことが、震災の被害を大きくした要因でした。この地震では、”海岸より遠くへ避難する”より”高台を目指して避難する”ことが結果として多くの命を救いました。宮城県は、この震災の記憶を風化させることなく後世に伝承するためのさまざまな取り組みを行っています。また、宮城県内の市町村においても、東日本大震災を記録する取り組みが行われました。
海岸付近には日和山があり、そこが最大の避難場所になりました。被災者の方々は日和山に避難し、最大で6.9mの津波が押し寄せてくるのを見ていました。波に呑まれていく町並みや目の前で自分の家や家族が流されていくのを山頂から見ていると「やるせない気持ちでいっぱいになった。」と話されました。日和山からは石巻市を一望することができ、震災前と震災後の様子から震災被害の大きさを改めて感じました。石巻市の被害は死者3,181名、行方不明者419名です。見渡す限り、住宅街であった場所が何一つない草原に変貌している様子が強く印象に残りました。
2 広島土砂災害
平成26年8月20日(水)広島県広島市安佐南区、安佐北区で発生した広島土砂災害は土砂崩れなど一夜にして被害が及びました。特に緑井・八木地区は多くの被害者が出ました。東日本大震災では広島から距離も遠くボランティアに参加することが難しかったのですが、広島で起きたこの災害では多くの人が積極的に復興のためにボランティアとして参加しました。
3 被害の比較
東日本大震災(石巻) | 広島土砂災害 | |
発生場所 | 宮城県三陸沖 | 広島県安佐南区、安佐北区 |
発生日時 |
平成23年3月11日(金) |
平成26年8月20日(水) |
被害家屋 (内訳) 全壊 半壊 一部損壊 |
462,327棟
82,999棟 155,130棟 224,198棟 |
429棟
133棟 122棟 174棟 |
人的被害 |
計 3,600名 | 計 75名 |
4 石巻市商工会議所
(1)商工会議所の復興の軌跡
商工会議所は、震災後に商業部会・工業部会・理財部会・水産部会・通運観光部会・青年部・女性会に分かれ復興支援を行いました。本来の石巻の姿を取り戻すために復興会議を開き意見交換を行うことや、町づくりプロジェクトを計画し、実施してきました。具体的には仮設商店街の設置やライフラインの復旧に協力すること、復興資源の受注や水産業界復活のための取り組みなどを行ってきました。
その商業機能の復旧支援を行うために「中小企業等グループ施設等復旧整備等補助事業」(通称:グループ補助金)が創立されました。このグループ補助金の使用目的は、①産業活力の復活②被災地域の復興③コミュニティの再生④雇用の維持です。国が2分の1、県が4分の1を補助し、再建のため使用されています。
その他にも、石巻市商工会議所は、ホームページや会報などで事業所への支援情報を発信しています。また、復興推進をアピールするためのステッカー作製を行いました。今後は、復興状況について視察される方を多く受け入れ、震災当時の対応・事業展開などに関して、印刷資料や電子データを用いて石巻市の被災状況や復興計画を公開し、東海・東南海や首都直下地震などの地震発生に備え、今後の対応に活かせる情報提供を行っていくそうです。
(2)牛田商店街の取り組み
牛田商店街では、東日本大震災から復興組合で東北を応援してきました。その内容は、組合員である印章工房様が、被災地に復活の思いを託し山桜の木で作った手彫りの判子を送る支援活動をされたところ、そのお礼にと特産のあぶら麩が贈られてきました。東北ならではのこの「あぶら麩」を牛田から広めていけば、それが東北の支援につながるとの思いで、牛田商店街であぶら麩を販売する活動が始まりました。
牛田 ほおずき祭
牛田ほおずき祭は今回で23回目を迎え、牛田の住民のみならず、他方の方々も大いに楽しみにされているお祭りです。昨年は安佐南区等の土砂災害など悲しい出来事が多発したこともあり、今年のほおずき祭は「つなごうしあわせの灯(ともしび)」をテーマに、世界中に幸せをつないでいこうとの思いで開催しました。
5 今後に向けて
このページを作って思ったことは、今回のことが市商の周りの環境や遠く離れた被災地である宮城県に高い関心を持ち、考え、調べ学ぶ良いきっかけとなったことです。このつながりを絶やすことなく、今後も市商生で調べ学習や地域貢献に積極的に取り組んでいきたいと考えます。